Reportふくしま(デジタル版)
あさがお (南相馬鹿島区)
南相馬市鹿島区にある「あさがお」は、H29年度、福島県の就労継続支援B型の福祉事業所の中で、ナンバーワンの工賃の実績であった。被災地では異例の事で、いかに頑張っているかを証明している。
東日本大震災では、作業所の近くまで津波が押し寄せ、原発事故により、グループホームの利用者と共に山形に自主的に避難した。翌月の4月に戻ったが、原発事故の影響で豆腐の原料である大豆が作れなくなって困っていた。
あれから8年、地域の障がい者のために生活介護やグループホームなど事業所を増やしてきた「あさがお」は何を考え行動してきたのか、その思いやこれからの課題を聞いた。
写真1 あさがおの所長の森さん(笑顔のステキな女性)
佐藤 「いつ来てもあさがおは活気がありますね。来る途中、畑で利用者さんが大豆畑の手入れをしていました。震災直後は、豆腐の材料の大豆が作れないと言っていた時期もありましたね。」
森「原発事故で、グループホームの20人とスタッフ6人で山形に自主避難したんですが、4月には戻ってきました。避難先から南相馬に帰ってきて”仕事ができなくてもとりあえずご飯を食べにおいで!”とチラシをまいたり、仮設住宅の人たちに食事を作ったりで、自分たちにできることをやってきました。」
佐藤 「当時、南相馬の工賃を調べたんですが、ほとんどの事業所が月に3,000円程度に落ち込んだのに、2万を超える工賃を出していたんですよね。」
森「あさがおのメンバーは、自分で決めて実行する人が多くて、工賃を出すことが一番、みんなの元気が出るんです。当時は、理事長が豆腐や豆乳を販売する機会があればに東京に行ったりと1年くらいは続きました。でも、職員もがんばり過ぎて、体調を崩す職員もでました。」
あさがおの軌跡
2004年(平成16年)7月 鹿島町精神障害者の生活を支援する会が、小規模作業所「あさがお」を開所する。
2008年(平成20年)鹿島町、小高町、原町市が市町村合併し、南相馬市が誕生する。
・7月 特定非営利活動法人「あさがお」と改名する。
・農薬不使用の青ばた豆栽培し、豆腐と豆乳の製造 を行う。
・12月 就労継続支援B型「きぼうのあさがお」開所。
2011年(平成23年)東日本大震災で原発事故発生
市長が、全市民に避難をするように呼びかける
・グループホームの全員と山形に避難する。
・4月 山形より戻り、事業を再開する。
・大豆が作れず、販売もできない状態になり、関東エリアに販売の活路を求める。東京、埼玉、群馬、立川、日本橋、有楽町などで販売した。
2013年(平成25年)10月から グループホームを避難者に開放
※南相馬の障がい者の移送支援事業をサポート
2015年(平成27年)グループホーム5・6を開所する。
福島に戻りたいという障害のある人を受け入れる 「帰還支援事業」に力を注ぐ。
・1月多機能事業所「ともに」開所(生活介護+自立訓練)
2017年(平成29年)グループホーム7・8を開所する。
・避難先から帰還したいと希望していた200名の障害者が亡くなったことにショックを受け増設。
2018年(平成30年)玉ねぎ10,000本作付けし本格的に農業に取り組む。(農福連携)
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グループホームが増えた訳
写真2 あさがおのなかま約20名が、畑で一列になり大豆の種まきをしている画像
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佐藤 「震災で働き盛りの女性職員が避難して、他の作業所が職員が少ないと言っている中、あさがおはグループホームを増やしてきました。その理由を教えてください。」
森「震災後、あさがおのグループホームは4つ増えて7つなり、約30人ほどが生活しています。原発事故の影響で20キロ圏内の双葉郡から避難してきた人や、障害があっても地域の人たちに支えられて暮らしていた人が生活できなくなった人たちが行き場を失って、利用者が急増しました。」
「原発事故で、相双地域の精神病院に入院していた約400人が県外に避難したんですが、病院は再開していません。約200人の人が亡くなったと言われています。福島県は、避難した人を病院ではなく、地域に戻そうと精神障害者の地域移行・定着に力を入れています。しかし住む所が不足していて、グループホームが必要なんです。避難先からインターネットでも問い合わせがあるんですよ。」
写真3 あさがおのなかまが畑で撮った集合写真
あさがおは、グループホームをはじめ、高齢の利用者のための訪問介護、平成27年には、生活介護と生活訓練の事業所「ともに」を開設した。これも障がい者の居場所がほしいという地域のニーズに応えてのことだ。
震災後に交通機関が機能せず、南相馬市内の日中活動を行う福祉事業所への通所や病院の通院、支援学校の通学のため、移送支援が必要だった。移送支援の中心的な役割を担っていたのがあさがおだった。えんどう豆やひばりワークセンターなどのメンバーも利用し、ひとつの作業所だけにとどまらない活動であった。 また、昨年度からは、視覚障がい者同行援護従事者養成研修を開催し、障害者が住みやすい地域づくりを推めている。
写真4 大豆の選別するなかまたちの画像
佐藤「具体的に今、困っている事は何ですか?」
森 「一番は職員不足です! 利用者が増え仕事も忙しくて、猫の手も借りたい状態です。利用者さんとゆっくり話ができる余裕があるといいんだけどなぁといつも感じてます。」
佐藤「南相馬はバイトやパートの時給が高くて、障がい者の福祉に関わる人が集まりにくいのでしょうか?」
森「復興事業の方に人が回っていて、職員の募集をしても有資格の人は入ってこない状況です。職員のスキルアップや研修には力を入れているんですが、利用者を受けざるを得ない状況が続いています。」
図案2 ・2017年2月に行った「南相馬市障害福祉サービス実態調査報告書」より
1)全職員の男女ごとの世代構成
20代で男性1名に対して女性4名
40代で男性8名に対して女性20名
60代で男性6名に対して女性22名
見てわかる事=若い人が少ない、高齢の女性に依存している
2)南相馬と全国平均の年収比較
南相馬が225万に対して、全国平均338万
佐藤「あさがおが目指すことを聞かせてください。」
森「わたしたちは、障がいがあってもなくても、みんなが楽しく暮らせるようにしたいと思っています。そのために地域の人に理解してもらうように、ずいぶん努力してきました。みんなが、心が休まる居場所を作りたいと思っています。」
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写真5 あさがおのみんなが「ありがとう」の寄せ書きを持った写真
あさがおのHP
http://www8.plala.or.jp/asagao/
ネットショップ
https://store.shopping.yahoo.co.jp/asagao-online/
写真6 あさがおの商品、青ばた味噌(400g) 550円と青ばた丸ごと豆乳(500ml) 650円
写真7 あさがおの理事長の西さんの画像
皆様からの応援をいただいて、震災を乗りきれたと思っています。有り難うございました。西 みよ子
あさがお 〒979-2335 福島県南相馬市鹿島区鹿島上沼田120 TEL ( 0244 ) 46 - 2527
・復興に向かう町のシンボル
写真8 万葉の里風力発電所(南相馬市鹿島区) 青空と海をバックに4基の巨大風車の画像
あさがおは海から約3.5キロほどの所にあり、津波は目の前まで押し寄せた。隣の南右田地区は津波の直撃を受け70 戸が流され、54人が亡くなり、今では建築制限区域となり、行政区がなくなった。地区には「かしまの一本松」と呼ばれた鎮魂と復興のシンボルがあったが、今は4基の巨大な風力発電の風車が建ち、太陽光パネルが地面を埋め尽くし、南相馬の新しい復興のシンボルになっている。
南相馬市は復興計画で「再生可能エネルギー推進ビジョン」を策定し、エネルギー転換を目指し、再生可能エネルギーの地産地消を計る。2020年には、再生可能エネルギーを65%、2030年には、ほぼ100%とする計画だ。
あさがおでは、バイオマス燃料や循環型の農業にも取り組み、原発事故後の社会のあり方について考え行動している。
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